2009年3月31日火曜日

ポータブル・アストレイ

東京マラソン2009ではポータブル・アストレイを配布していました。ご存知の方はいるのでしょうか? なんとこの携帯灰皿を売ったりしている人がいます、無料で配布していたんですけどね。記念にビニールに入れたまま保管しておくことにしまた。



こうしたグッツマニアではありませんが、結構いただくことが多いのです。これはポイ捨てを防止するためにやっているキャンペーンでのものですが、おかげでポイ捨てはかなり激減しました。わずか20年前はタバコの吸殻は平気で街中に捨てられていました。

今都内では灰皿のある場所に吸いにゆくのが当たり前になっています、誰ひとりとしてポイ捨てをする人をみかけません、少しづつ慣習をつけてきた近年の結果が激減につながってきたと思います。

2009年3月30日月曜日

言問橋からのスカイツリー

こちらは言問橋(ことといばし)から見た東京スカイ・ツリーです。もうこの様に基礎工事から建物の高さの部分の建設段階に入っています、ツリーが完成するともうここからのこのフレームには収まらない高さにまでなります、その前にと撮影をしておきました。



4月にコーヒータイムでスカイ・ツリーの現在を公開予定です、その前にこちらで先行公開。実は言問橋は東京スカイ・ツリーを観る絶景スポットだったのですね、これは初公表の情報かもしれません。首都高速の上に突き出て見える東京スカイ・ツリーがご覧いただける絶景スポットであります。

墨堤まつりと東京スカイ・ツリーは今後セットのものとなります。

2009年3月29日日曜日

シルエット・ロマンス

お寺を逆光で撮影するのもいいものだ、その輪郭が青空にくっきり現れる。ここは浅草寺の五重塔、開帳時に2時の方角を本堂から撮影した。ただ背後にある木が邪魔でしたね、まあの木は伝法院の古代巨木なのでしかたがありません、むしろ五重塔よりずっと前からあの位置にある木のほうが立派といったところ。



この五重塔には釈迦の骨が納められているといいます、その意味をこめて仏舎利という。さて、この五重塔をもっと美しく撮にはどうしたらいいのか、という課題が昨年の10月の私にありました。そうして何度か足を運び数十枚に渡り撮影した中の一枚を明日掲載したいと思います。

2009年3月28日土曜日

一般の徳川さん墓石から

誌石からこの徳川家の一般墓に徳川誠さんという従3位にあった人が入っていることが判りました。驚いたのは平成になっても従位が付けられている点です、調べたら徳川誠は慶喜公の9男で本徳川家から分家し独立したそうです。



横浜正金銀行に勤務したのち貴族院の議員として活躍したという、なるほどそれで従3位が付けられているわけですね。貴族院とは前の日本国憲法で(大日本帝国憲法)議員にはカーストのように衆議院と貴族院に分けられていたのです。

その貴族院の中の男爵議員としてご意見していた方であるのです、この徳川誠さんのご長男は太平洋戦争で戦死しているのですね、男爵議員の息子とて軍での地位は保証されても徴兵からまぬがれる事はできなかった、それほど大日本帝国憲法からの当時の日本の厳びしい規律が、この誌石からも伺うことができます。

その時歴史が動いた、今回はここまで。

2009年3月27日金曜日

徳川さん代々の墓

昨日お話した徳川家一般の墓がこちら、徳川慶喜の墓の敷地外にあり正門の左側にある。つまり将軍である徳川と将軍以外の徳川は別扱いなのです。その扱いの違いたるや半端なものではありません、こんなに違うんですからね。



この墓の敷地や墓石自体は一般の墓とまったくかわりません、しかしこの墓石に向って拝むと同時に慶喜の墓に向って拝むことになり、その微妙な位置取りに配慮がうかがえた。

こちらの場所に慶喜以降の徳川家が入っているのかは確認できなかったが、横にここに入っている人の名がきざまれていた、明日はなんと、その名刻石の部分のアップを日本初公開といきましょうか。

2009年3月26日木曜日

この紋が目にはいらぬか

葵の御紋です、いよいよ来ました徳川家の墓。そう先祖代々徳川家の墓は場所を変えてきた、家康から家光までは日光東照宮、以下寛永寺裏と品川に分散している。分散しているという意味では慶喜だけここにあるといってよい。



それにしてもこの紋、ずっしりと重く目に飛び込んできます。奥に慶喜公の墓がぽつりと建ててある、まるで大きな骨壷の様なつくりになっていた。その扱いは他の将軍からみると実に粗末なものに感じた、実はこの門の横に徳川派生家の一般人用の墓があるのだ、そんなことは誰もネットで報じないんですね。

では私が報じてしんぜよう
明日のこの時間まで、さらばじゃ

2009年3月25日水曜日

徳川慶喜公の墓

谷中霊園の中に徳川慶喜の墓がある、諏訪神社を通りかかったのでついでに行ってみた。徳川最後の将軍の墓はどんなふうになっているのか、寛永寺からみるとかなり西側に位置するここはほとんど日暮里駅といってよい場所にある。



戦国史を知るうちに徳川慶喜にたどりつく、しかし明治直前の頃の日本史については知らないことが多い。残されている資料や情報は一番多いこの時期の日本史に触れずにきた。殿様と将軍とは立場が全然違う、市長と内閣総理大臣くらい違うのだ、幕末になり国家を管理しきれなくなるほど行政の仕事が多く、重くのしかかっていた、幕府はもはやその行政をすべて行うことには無理を生じていた。

そこへ坂本竜馬がメスを入れたわけだから、タイミングとしては丁度良かったのだろう。明日はいよいよこの墓の門前の写真を公開します。

2009年3月24日火曜日

東京マラソンで、その2

実は東京マラソンで知合いや友人は誰も出場しなかった、なのに応援しにいったのはマラソンを見るのは初めてだったこともその動機のひとつ、もう一つは古田敦也が走るというのを小耳に挟んでいたので、では応援かたがたというのもあった。



野球の選手では古田と伊東のファンである、どちらもキャッチャーで今は引退している。古田がどんな走りをするのか、フルタのフルマラソンでフルフルである。ところが東国原知事が通り過ぎても古田はいっこうに来ない、友人と行っていたのでその友人に

「古田と、そのまんま東はどっちが速いかな?」と質問したら「東の方が速いんじゃない」という。それもそのはず古田はフルマラソン初挑戦なのである、日本の野球界とWBCチームのために走った彼は私と年齢が同じくらいだし、無理もないかなと思った。

フルマラソンに挑戦するだけでもたいしたものなのだ、きっと彼は完走を目的に走ったに違いない、昨日彼のブログを見たら

「苦しいにもほどがあるのに、楽しかったです」

と書いてあった

古田さん、お疲れさま
君の頑張りが日本の野球に大きく貢献し
世界一になりました。

2009年3月23日月曜日

東京マラソンの応援

昨日の東京マラソン、参加ランナーの意気込の凄さもさることながら応援する人々の共同意識が素晴らしかった。浅草ではお囃子と和太鼓のグループが和音楽でランナーを歓迎していた。浅草周囲沿道にかけつた人達は皆さん声援を送っていた。



ランナーは約7時間もの間次々と道を通り過ぎてゆく、30分ほど見ているだけで目がその景色に慣れてしまい何もかもが同じに見えてしまう中、やめずにその声援を贈り続ける数万人の人達。ランナーは人に支えられているという感じがするのであろう、その証拠に28kmを過ぎても歩こうとする人はわずかしかいなかった。

人々の応援はその人の力を限界まで引き出させる素になっている
沿道応援とランナーの共同でつくり上げる第3のパワーが見えた

2009年3月22日日曜日

出来かけの高層マンション

日暮里にこんな高層マンションが只今建設中です、日暮里も大変貌したものです。舎人ライナーも通って新しいインテリジェントビルも多く建ち並んできました。



以前は下街の極みの様でしたけどね、日暮里がこんな風になるなんて想像にすらありませんでした。しかし新しい日暮里も面白いですね、舎人ライナーへのデッキが長く道路上にあり、地上では新店舗ラッシュになっています、都内のどの駅にもない雰囲気があります。

2009年3月21日土曜日

クリナップの流し台

そういえば以前住んでいた家の流し台はクリナップでした、対面キッチンでしたが使いやすかった。今はオール電化が主流になってきています、しかしガスコンロを希望する人が近年急増しているそうです。



やっぱりガスコンロは中華料理などの炎強めで料理するものには欠かせません。あとフライ(天ぷらなど)でも強目で揚げる場合もあります、オール電化だと火災の心配が減りますが自由度は落ちる、でもプロパンで引き込むという手もあります、ガスの供給も都内では都市ガスになっているので自由度がありません。

都市ガスは危険度が少なくていいんですけどね
新しいキッチンを今度取材してみます。

2009年3月20日金曜日

EF81を電車置場にて

これもいい写真です、EF81とDE10のツーショット



フリーで公開します。

上中里とか昭和町(北区)付近はほんとに昭和の雰囲気のする街並みです、この辺は明治通りに近く明治通りきっての昭和街。

2009年3月19日木曜日

浅草の中の人力車

浅草の街ではほぼ毎日こうして外国人が人力車に乗って優雅に浅草めぐりをしています、お客が日本人の場合には車引きの人がする観光ガイドが有効です、しかし外国人の場合わりとシーンとしてしまうようです。その国の言葉に合わせたガイドをするには最低でも五ヶ国語くらいできないと無理なわけですから対応のしようがありません、なので見せて周っているのです。



しかし外国人の方はそれでも満足でありましょう、まさか手で引いてもらってガイドまで母国語でとは思っていない様子です。雰囲気さえ味わえればそれでよし、とそんな感じなのです。外国人からするとあまり日本人にサービスを過剰にやってもらうと高くつきそうと恐れる傾向にあるようです。

近年は「和風」は高級というイメージが海外にも定着しているんです。

2009年3月18日水曜日

川口から

これは川口元郷駅から見た川口エルザタワー、中に友人が住んでいるので今度最上階のゲストルームを行ったついでに取材してみましょうかね。55階もあるので足立区からもエルザタワーは見えますよ。



この付近は荒川沿い近く、昔しからみると随分と景色が変った。122号線という抜け道の極みの様な国道が通っている、しかし122号線は流れいいです4号みたいに渋滞しませんね。しかし28日からは地方高速道路千円が始るので122号もどうなるのやら、浦和インターで降りて赤羽根・池袋と都心へアクセスする要所と化します。

2009年3月17日火曜日

電気機関車EF641

JR田端駅近くの電車の車庫近くを通りかかったのでついでに写真取材してみました。ブルートレインや電気機関車はここに置いてあるんですね、なかでもピカピカの新しい電気機関車のEF641が置いてありました。



こんなに新しいEF641は初めて見ましたかね、調整具合バッチリといった感じでしょうか。これ東芝が作っているんでしょうか、全国にEF641はあるようで貨物輸送の最盛期に昔しはよく走ってましたが今は台数も限られているようです。

こんな新しいEF641は、ほっとコーヒータイムだけでしょうか?

2009年3月16日月曜日

アンテナの分別が可能に

このところ地デジアンテナを調べていたのですっかりアンテナの形が頭に入ってしまった。なので住宅街を歩き屋根を見ると地デジにしているのかが判る様になってしまった。身に付いた判定眼で足立区を歩くと地デジが何割付いているかおおよそ出せる。



私の判定によると地デジにしている割合は38パーセントほどである、BSが付いているのはもっと低く12パーセントほど。それ以外は全家屋アナログである。政府が仕度資金援助の検討に入っているので地デジ化を焦る必要はないと思う。

しかし私はテレビが壊れてしまったのでやもなく地デジにした
レグザを買いました。

2009年3月15日日曜日

タイシルク

私のもっている布製のもので衣服も含め一番高いもの、それはこのタイシルク。タイのプミポン国王が公式の場に着る服に採用されている布と同じものがこれ。タイ・シルクといえば知っている人は高級繊維ということを把握していますが、これはそれに輪をかけて高級なんです。



数年前にタイに行ったときにプラトゥーナム市場で買ってきた、畳四畳ほどのこのテーブルクロスは8000BTもした。これでもかなり交渉して手に入れたほうで今だと15000BT以下では買うことができない。日本円にすると5万円ということになりますが、日本で売っている値段は12万円ほどとなっています。

このシルクを加工して服を作ると、そのスーツは
なんと35万円ほどになってしまいます。

2009年3月14日土曜日

もう桜は咲いてます


ここは埼玉県・川口市元郷駅前の梅並木、しかしもう桜の花も一部は咲いています。今年は確かに暖かい2月であったがこうも早く桜が咲くと季節がズレているような気がしてならない。

東京のソメイヨシノの開花は3月の26日頃からではないかと私はみている、今年は花の気が強いので開花時期に花を見ることをお奨めしている。



今度「花の気」についてのことに触れます。

2009年3月13日金曜日

13日の金曜日

13日の金曜日、あのジェイソンの酷い映画を想い浮かべる人もいるのではないだろうか。米国では不吉な日とされている、13日の金曜日は先月と今月2度連続でありました。



つまり2月と3月は曜日が同じなのです(29日以後を除く)、そして11月も一緒です。曜日が一緒なのは閏年を除き1・10/2・3・11/4・7/9・12月は共通しているのです。だから9月3日が月曜日なら12月3日も月曜日、つまり9月のカレンダーでクリスマスは何曜日が判ります。

1日が日曜日の場合は、その月の13日は金曜日です。

2009年3月12日木曜日

カレーは松屋

私はほとんど吉野家には行かない、なのでチョイ食べの時は松屋に入ることが多い。松屋のカレーは美味しいと思います、らんぷ亭やココ壱などカレーに力を入れている丼物フランチャイズは多くあるが、やっぱり松屋のカレーが中では美味しい。



松屋のカレーには味噌汁が必ず付いてくる、カレーは肉汁とリンゴの配合に特徴があるのだろう、ニンニク臭くないところも会合前などにうってつけの点だろうか。しかし最近の松屋は劇空きで心配になるほど。

あー、そんなこと書いてるうちに
食べたくなってきた

いま直ぐいってきます。

2009年3月11日水曜日

新しくテレビを

じつは我が家のテレビ(アナログ)が調子が悪るくテレビを買い換えようか悩んでいる。12年間使っているこのブラウン菅型テレビにも愛着がありおいそれと買い替えというのも気がひける。しかしどの道あと2年以内に買わなくてはいけないわけで丁度決断をしたところであった。



血で痔、いやいや地デジ。ヤマダ電機に見にいったがどれにしたらよいのやら、と調べているうちに結構な知識が蓄えられてきた、倍速液晶だのHDD内蔵だのもろもろと。候補は32型のタイプでブラビア、ビエラ、レグザ、ウー、どれも甲乙つけがたい。

消費電力や汎用性を考えるとやっぱり32型か26型がいい
ゆくゆくはPC画面にすることも考慮し検討・健闘中

2009年3月10日火曜日

ほのかな大人の味わいの酒

たまにウイスキーが飲みたくなる時がある、私は元来から晩酌もしないし愛酒家ではないのだが最近なぜかふとウイスキーが飲みたくなるのだ。なぜそうなるのかよくよく考えてみると、どうも幼少期に関係しているような気がしてならない。



父は若い時分にウイスキーをよく飲んでいた、私が子供の時ほんのたまに「その茶色い水」を飲んでみたことがあった、とてもじゃないが子供の時は美味しいとは思えなかったが今頃になって唇がその味を覚えている様な気がしてならない。

当時テレビではCMでこの唄が流れていた、どことなくオヤジ臭い唄だと思っていたが成長するにしたがってジャズテイストのこのメロディが渋く感じられるようになってきた。

あーそうだ!

人からいただいたサントリー山崎がある、飲んでみようかな。

2009年3月9日月曜日

神田川の看板

万世橋の前の橋「昌平橋」の脇にある看板にこう書いてあります。明日もお元気で! ひと言の言葉のフレーズから何かほっとリラックスできる潤いと勇気が湧いてきます。



そして本日、この看板近くの東京ドームでは世界ベースボール「日本対韓国」の試合が行われました。息が詰まるような緊迫したゲームでした、日本はわずか1点の差で第一ラウンド二位通過です、国際ゲームの中でも凄いゲームでした。

こんな野球なら毎日見たいね。

2009年3月8日日曜日

日本屋楽器?

浅草には日本屋楽器という店名の楽器店がある、ヤマハの別名は日本楽器なので曖昧である。しかしこの日本屋楽器もヤマハ製品の取扱店であるのだ、曖昧なうえに更に曖昧なのです。



実は浅草には楽器店が10店舗以上あるのだ、しかしそのほとんどは和楽器である。和太鼓や笛などが多く売られている、おそらく太さの違うバチを数十種類置いてあるのは浅草を除いて他にはないのではないだろうか。

この日本屋楽器は普通に管楽器なども置いてある。

2009年3月7日土曜日

万世橋

昨日コーヒータイムでも掲載した万世橋駅、実は万世橋と万世橋駅をセットで写す人はかなり少ない、その万世橋駅の上に中央線が走っている、万世橋駅の奥の側を走っていて万世橋駅のホームには入っていないのだ。



万世橋は実はかつてはこの位置ではなく、ここから60メートルほど水道橋方向寄りにあった。いまの石丸電気あたりの位置であったという、ここからカーブになっていて東京駅へと向いてゆく。万世橋駅とは言うが実は神田駅と言い換えてもよいくらいの位置にあるのだ。

つまり秋葉原は神田なのである、神田とは千代田区に入る。秋葉原は台東区と千代田区の間に位置しているのです。その微妙な位置どりにイメージとしては台東区という人も多く駅が実際にはどちらの区に属しているのか知らない人が多い、そんな秋葉原駅は千代田区にあるのである。

歴代の将軍や数々の殿様が渡ったこの万世橋、万世橋駅をセットで保存すべし。

2009年3月6日金曜日

その花の名は?

ハッとするほど美しい花をみかけることがある、しかしそんな時に限ってその花の名が何であるか判らないものだ。この花は何っていうのだろう、花屋でない限りその名を教えてくれる人はいないものだ。



紫紺色に真っ白の花びら、わずかながら紅いメシベ、ネットで同じ様な花を見つけることは至難の業。名も知らぬものほど憧れが強くなる、ずっと飾っておきたいとまで思っているのに何の手かがりもない。いつか必ずみつけてこの花を強引にも手にしたい。

そう思える花は人生の中で一つあるか無いかではないだろうか。

2009年3月5日木曜日

リサイクルショップのギターたちへ

先日また近郊のリサイクルショップへいった、今回の目的は酸素を買うためと楽器をみるため。このリサイクルショップは楽器が豊富に置いてあるのです、とくに不況の近年はどんどん楽器が売りに出されている。あ、そう以前掲載したデジピの店とここは違います。



ギブソンのギターがあった、パッと見ただけで一発で判りますねギブソンって、私はフェンダーとかギブソンとよくセッションしてきたので見慣れているのです。(笑)

これは虎目じゃないので「安いほうの・・」とか心の中に浮かべつつ口には出さない癖がついているのがバンドマン出身のキーボードです。(笑)クチが腐ってもスタジオなどで「あ、それ安いほうのギブソンね」などと言ってはいけません、ギターの音は値段ではないのです。

イヤなキーボードですねこんな事書くなんて・・・

2009年3月4日水曜日

ここぞという時に使うため

先週末実は「酸素」を買いまして、脳スッキリ大作戦をやってみました。いままで病院などで酸素補給などした経験もないのでどうなるのかと思い試してみました。吸入してから数十秒は何も変化がありません、しかしその後なんとなくスッキリとしてくるのです。



トイレにはサンゴ(白石化したもの)を置いてあり、玄関にはサンセベリアと、酸素対策は以前からしていましたが、酸素そのものを吸うと何がなんだか分からないものでございます。味も匂いもなく更には見えないというものを認識するのは人間にとって難しいことなんですね、吸ってみて初めて理解できました。

こんな事しなくても空気中には21%酸素が入っているわけです、しかしその濃度を上げるには高地トレーニングをするかこうして酸素直接吸入してみるしかありません。

初体験の巻でございました。

2009年3月3日火曜日

ハシゴの上手な利用方法

これはホームセンターに普通に売られているハシゴ台、頑丈で人が2人乗っても大丈夫なのです。実は以前私はこのハシゴ台を自宅でキーボードスタンドで利用していた。安定が抜群で鍵盤楽器のコンポジットセッティングにはおすすめです。



鍵盤のコンポセッティングではアルティメイトが有名ですが、以前はサイド型であった、実はサイド型を考案したのがこの私なのです。イレクターを使い作った自分用のKeyスタンドの写真を撮り設計図を画きメーカーに郵送したら「参考にさせていただきます」と返事がきた、私が高校生のときです、そのときから半年後くらいに発売になったんですよね。


アイディア料金無料
特許とっとけばよかった・・・
(↑この程度で特許はとれませんが)
 
 
 
 

2009年3月2日月曜日

オバマンとオザマン

秋葉原をはじめ浅草でも何かと政治家まんじゅうが盛んに売られている。東京土産になぜ政治家まんじゅうなのかは謎だが、とにかくどんどん売れてゆく様子なのだ。小浜市を勝手に応援しますまんじゅう、とオザマンのどちらが売上げがよいかというとオバマンらしい。



ついでに「選挙延期イライラまんじゅう」でも作ってはどうだろうか。票よりも売れるかもしまれません、その浅草・台東区は東京2区という選挙区で文京区と中央区も同じ。この3区が選んだ衆議院議員は深谷隆司(自民)、次の選挙は中山義活(民主)に勝ち目はないだろうと見られている。

東京は比較的世論通りに事が運ぶ
 
 

2009年3月1日日曜日

穴に入れた木

ここは足立区の元渕江公園にあるベンチ、座場を突き抜け木が生えているのではなく、木の根元を保護する目的でベンチを作ったのです。しかもコンクリート・タイルで周辺も覆っているので雑草も生えず完全防備。



穴を貫通しているので「エッチベンチ」とオヤジ連中から言われているらしく、セックスの木などと子供がバカにして言っているらしい。木としてはこんなガチガチに固められてしまって、さぞかし窮屈なことでしょうね、バカにされるわ固められるわでさんざんな目にあっている木でございます。

人間は勝手な生き物ですね、公的機関すらこんなことするんですからね。