2009年3月25日水曜日

徳川慶喜公の墓

谷中霊園の中に徳川慶喜の墓がある、諏訪神社を通りかかったのでついでに行ってみた。徳川最後の将軍の墓はどんなふうになっているのか、寛永寺からみるとかなり西側に位置するここはほとんど日暮里駅といってよい場所にある。



戦国史を知るうちに徳川慶喜にたどりつく、しかし明治直前の頃の日本史については知らないことが多い。残されている資料や情報は一番多いこの時期の日本史に触れずにきた。殿様と将軍とは立場が全然違う、市長と内閣総理大臣くらい違うのだ、幕末になり国家を管理しきれなくなるほど行政の仕事が多く、重くのしかかっていた、幕府はもはやその行政をすべて行うことには無理を生じていた。

そこへ坂本竜馬がメスを入れたわけだから、タイミングとしては丁度良かったのだろう。明日はいよいよこの墓の門前の写真を公開します。