2009年3月28日土曜日

一般の徳川さん墓石から

誌石からこの徳川家の一般墓に徳川誠さんという従3位にあった人が入っていることが判りました。驚いたのは平成になっても従位が付けられている点です、調べたら徳川誠は慶喜公の9男で本徳川家から分家し独立したそうです。



横浜正金銀行に勤務したのち貴族院の議員として活躍したという、なるほどそれで従3位が付けられているわけですね。貴族院とは前の日本国憲法で(大日本帝国憲法)議員にはカーストのように衆議院と貴族院に分けられていたのです。

その貴族院の中の男爵議員としてご意見していた方であるのです、この徳川誠さんのご長男は太平洋戦争で戦死しているのですね、男爵議員の息子とて軍での地位は保証されても徴兵からまぬがれる事はできなかった、それほど大日本帝国憲法からの当時の日本の厳びしい規律が、この誌石からも伺うことができます。

その時歴史が動いた、今回はここまで。