2009年1月4日日曜日

オムライスに想い

レストランでメニューを見ているとき、迷うのが嫌いだ。パッと見て30秒以内に「コレ!」と決める感覚が好きなのだ、だから私を知ってる人は食事時の「迷い」を見たことがないはずだ。



そんな私でも迷うことがあって、そんな時にはコレにするのだ。

店内の席につき水を持ってきたウエイターに即答で発注するオムライス、しかしオムライスの場合は迷わずに決めたというよりは迷いたくないときのオーダーである。オムライスが目の前に来ると「あぁ、こんな子供みたいな食べ物」と一瞬想うのだが、クチに入れると思いだすこの甘さと加減、タマゴと中のチキンライスの絡み具合がオムライスの味を決定する。
 
でも人前で食べるのにはテレます
 
 

2009年1月3日土曜日

浅草寺のハトの幸福

浅草の浅草寺の鳩は境内で餌を貰うことができない、鳩が自分で餌をみつけ食べている。ハトには餌を与えなくても大丈夫なのである、草や木の実や虫を喰って生きている。



人が生きるには衣食住が必要である、その環境が整ってはじめて生きることができる。法で整備された社会では原始的生活は無理である、規制があるためだ。何のための法なのかは別として、生き難い世の中で生活を維持するにはやはり衣食住できることが優先である。
 
人としての倫理を考えさせられる正月であった。
 
 

2009年1月2日金曜日

初日の出

初日の出は2日の朝に見た、眩しいまでのスッキリとした日ノ出。2番の日の出が今年最初にふりそそいだ、いつからだろうか元日からあれこれと何でもしないこと、それが私の例年の風習になっている。今年初めをゆっくりとスタートさせるというのが、いつもの慣わしとなっている。



初詣には元日に午後からゆっくりと行きました、そして夜は数人でパーティー、寒い元日でしたがなんとなくホットな感じです。
 
 
 
 

2009年1月1日木曜日

元旦

新年あけまして、おめでとうございます。



本年もご覧の皆様にとって善い年でありますように、心よりお祈り申し上げます。
 
 

2008年12月31日水曜日

大晦日の梵鐘

今日は大晦日、人の煩悩は数が多いという意味で108回撞く鐘。実は1年365日にも関係している、地球と太陽は1億五千万キロ離れている、地球の大きさを365とした場合太陽の大きさは40000、その場合丁度月は100に相当する。



太陽の実際の大きさ(物質)の1/108が実は地球なのだ。
地球の大きさの108倍もの大きさという意味で無限の様に大きく偉大な数が人の煩悩の数として意味されている。梵鐘は月に向って撞けと昔しの人は言ったそうだ。

古代の人はちゃんと知っていた
 
 

2008年12月30日火曜日

煩悩を撞く

除夜の鐘は響く、寺に街に、人の魂に。
インドでは数が多いという意味で108という数が代表されている、1つや2つではなく百八もの欲望を持つ人間は欲の数だけ穢れも多い、だからその「穢れ」(けがれ)だけを清めてしまおう。

というのが除夜の鐘



よくも分からずとも風習に従い梵鐘をついてみる
ガーン、ボーン、ゴーン、ドーン、グーン、鐘の音を表す文字だけでもこんなにある。でもだいたいはゴーンかガーンだよね? いや違う、鐘の音はボーンだよ、と人それぞれである。

え、そんな話し? なんだい深~いタイトルのわりには・・・
 
 

2008年12月29日月曜日

魚の同調システム

魚はいったいどうやって同調しているのだろう?そんな事を思うことがあった。かなり若いときだった、そんな疑問は私の頭脳のタイムカプセルから今とりだした。イワシの大群など一糸乱れぬ同調行動には驚かされる。



音楽にもあんな同調ができないものだろうか、そう考えてみたときには既に19才にもなっていた。丁度バンドを盛んにやっている時期だったので魚は最もベストなリズム感の先生だった、とはいっても何を参考にしたらよいのか分からず、ただ音楽の先生の姿を見て学んでいるだけ。

来年は魚のリズムを音にしてみようか
 
 

2008年12月28日日曜日

年末のアメ横に

普段は観光スポットとして世界に知られるアメ横も年末は庶民生活の要所として賑う。100円ショップが乱立する平成時代にさながら1000円ショップの様な市場。浪曲師の様な声が飛び交う、値引き交渉をする人もいるが年末のアメ横は強気である。



ひとつの昭和の生活パターンは今も尚ここに存在している。どんなにデパートが不況に見舞われる時代でもアメ横だけは変わらず、あのトヨタすら減益の今年でも松下とアメ横は増益をした。私も近年はスイート・バジルを買いに行くことが多い、ここのスイート・バジルはマレーシアから来る、特別に香りがよいのだ。
 
 

2008年12月27日土曜日

迷彩の木

迷彩の木と呼んでいる樹がある、最近になりこの樹の名前は「プラタナス」と分かった。よかった、いつも迷彩の木と呼んでいたのでそれ以上の広がりが無かったのだ。

そうか、コレがプラタナスなんだ、、、。


プラタナス

そうやってやっと発見があって、一つ覚えたその先から忘れていく。
あれ、これ何だっけ? ほらこの前覚えたばかりの、あの樹だよ、あの樹・・・
 
それでも知ったつもりでいるのだ。
 
 

2008年12月26日金曜日

時の感じ方

時間の感じ方は人それぞれ、だから人は皆自分の時間を生きている。自分で設計した時間を自分なりに過ごしている、何をどんなことをしようとも、その時間はその人の長さでその人の中で過ぎてゆく。



その時間をどんな楽しみに変換し生きてゆけるのか、それを行うために生まれてきたはずである。いまを感じることができない人には未来は来ない、永遠に未来に支配されつづけるのである。
 
いつが大切なのか、それは常に今なのである。