2009年4月4日土曜日

桜満開大放出

連日でゆきます、桜満開掲載。日差し眩しい桜の花ビラ、ソメイヨシノの乱れ咲きスナップです。花の気は生命力を示します、今年の花の気は実は「あわてずに」という気を発しています。



あわてずに、行こうではありませんか

2009年4月3日金曜日

満開中の旗

浅草はもう桜満開となりました、墨田公園の桜まつりと墨堤桜まつりが同時に人々で賑っています。水上バスの入りは連日満員、この時期に乗りたい場合は1時間待ちは覚悟しなければなりません。



水上バスはこの時期だけ言問橋方向まで距離を延ばし向島の桜並木を観覧しながらガイドを付けます、中ではコーヒーか日本酒(ワンカップ)を飲みつつ観ている人が多いようです。

2009年4月2日木曜日

UFOか?

こちらは新三郷駅周辺、IKEAが近辺にあります。昨年はじめてここを訪れた時のことです、近辺の写真を撮影したら変な影が空に浮いていました。本日はすでにエイプリルフールではありません、さてこれは何か?

写真を撮影していた時にはこのようなものは空にありませんでした。



もしかして、UFOなのでしょうか
実はそれからのことです、その後よくこうした黒い物体が写真に入ることが多くなったのです。不思議です、以前心霊写真を撮ったことはありましたが、UFOはまだ撮影したことがありません。

UFOだっのかもしれません

2009年4月1日水曜日

春のうららの

春の隅田川です、眺めを何に喩うべき? と唄では言っています。1900年に発表された唄なのでもう110年も経つのですね、はて何に喩えるといいのでしょう、時代の流れ、とかそういう喩えようもないものに喩えるとまた曖昧になるでしょうか?



この曲「隅田川」という曲名と思う人が多いと思いますが、そのタイトルは「花」なんです。よく間違え誘いクイズみたいなものに使われるのがこの曲です、隅田川を歌ってくださいと言うと大概は「春の~うららの~♪」となってしまいます。

んでもって2番を歌える人はまずいません、実は2番に桜木と出てきます、隅田川と桜は昔しからセットなのですね、隅田川でうらうらしく川を眺めるという時に、はたして浅草側からかそれとも向島側かという問があります。

この写真は向島側からの隅田川です。

2009年3月31日火曜日

ポータブル・アストレイ

東京マラソン2009ではポータブル・アストレイを配布していました。ご存知の方はいるのでしょうか? なんとこの携帯灰皿を売ったりしている人がいます、無料で配布していたんですけどね。記念にビニールに入れたまま保管しておくことにしまた。



こうしたグッツマニアではありませんが、結構いただくことが多いのです。これはポイ捨てを防止するためにやっているキャンペーンでのものですが、おかげでポイ捨てはかなり激減しました。わずか20年前はタバコの吸殻は平気で街中に捨てられていました。

今都内では灰皿のある場所に吸いにゆくのが当たり前になっています、誰ひとりとしてポイ捨てをする人をみかけません、少しづつ慣習をつけてきた近年の結果が激減につながってきたと思います。

2009年3月30日月曜日

言問橋からのスカイツリー

こちらは言問橋(ことといばし)から見た東京スカイ・ツリーです。もうこの様に基礎工事から建物の高さの部分の建設段階に入っています、ツリーが完成するともうここからのこのフレームには収まらない高さにまでなります、その前にと撮影をしておきました。



4月にコーヒータイムでスカイ・ツリーの現在を公開予定です、その前にこちらで先行公開。実は言問橋は東京スカイ・ツリーを観る絶景スポットだったのですね、これは初公表の情報かもしれません。首都高速の上に突き出て見える東京スカイ・ツリーがご覧いただける絶景スポットであります。

墨堤まつりと東京スカイ・ツリーは今後セットのものとなります。

2009年3月29日日曜日

シルエット・ロマンス

お寺を逆光で撮影するのもいいものだ、その輪郭が青空にくっきり現れる。ここは浅草寺の五重塔、開帳時に2時の方角を本堂から撮影した。ただ背後にある木が邪魔でしたね、まあの木は伝法院の古代巨木なのでしかたがありません、むしろ五重塔よりずっと前からあの位置にある木のほうが立派といったところ。



この五重塔には釈迦の骨が納められているといいます、その意味をこめて仏舎利という。さて、この五重塔をもっと美しく撮にはどうしたらいいのか、という課題が昨年の10月の私にありました。そうして何度か足を運び数十枚に渡り撮影した中の一枚を明日掲載したいと思います。

2009年3月28日土曜日

一般の徳川さん墓石から

誌石からこの徳川家の一般墓に徳川誠さんという従3位にあった人が入っていることが判りました。驚いたのは平成になっても従位が付けられている点です、調べたら徳川誠は慶喜公の9男で本徳川家から分家し独立したそうです。



横浜正金銀行に勤務したのち貴族院の議員として活躍したという、なるほどそれで従3位が付けられているわけですね。貴族院とは前の日本国憲法で(大日本帝国憲法)議員にはカーストのように衆議院と貴族院に分けられていたのです。

その貴族院の中の男爵議員としてご意見していた方であるのです、この徳川誠さんのご長男は太平洋戦争で戦死しているのですね、男爵議員の息子とて軍での地位は保証されても徴兵からまぬがれる事はできなかった、それほど大日本帝国憲法からの当時の日本の厳びしい規律が、この誌石からも伺うことができます。

その時歴史が動いた、今回はここまで。

2009年3月27日金曜日

徳川さん代々の墓

昨日お話した徳川家一般の墓がこちら、徳川慶喜の墓の敷地外にあり正門の左側にある。つまり将軍である徳川と将軍以外の徳川は別扱いなのです。その扱いの違いたるや半端なものではありません、こんなに違うんですからね。



この墓の敷地や墓石自体は一般の墓とまったくかわりません、しかしこの墓石に向って拝むと同時に慶喜の墓に向って拝むことになり、その微妙な位置取りに配慮がうかがえた。

こちらの場所に慶喜以降の徳川家が入っているのかは確認できなかったが、横にここに入っている人の名がきざまれていた、明日はなんと、その名刻石の部分のアップを日本初公開といきましょうか。

2009年3月26日木曜日

この紋が目にはいらぬか

葵の御紋です、いよいよ来ました徳川家の墓。そう先祖代々徳川家の墓は場所を変えてきた、家康から家光までは日光東照宮、以下寛永寺裏と品川に分散している。分散しているという意味では慶喜だけここにあるといってよい。



それにしてもこの紋、ずっしりと重く目に飛び込んできます。奥に慶喜公の墓がぽつりと建ててある、まるで大きな骨壷の様なつくりになっていた。その扱いは他の将軍からみると実に粗末なものに感じた、実はこの門の横に徳川派生家の一般人用の墓があるのだ、そんなことは誰もネットで報じないんですね。

では私が報じてしんぜよう
明日のこの時間まで、さらばじゃ